ハッピーエンド目指して只今カナダで修行中なへなちょこフェアリーのお話♪
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SATC


水曜日のレディースデーを利用して、SATC観て来ました!
今回はエルフと・・・じゃなくて、親友のMちゃんと。
こういう映画は、やっぱり女友達と観て、帰りにゴハンでもしながらあれこれガールズトークに花を咲かせてなんぼでしょ♪と思うのです!
同棲1年目のMちゃんと、同性愛なあたし。
SATCの4人に負けないくらい、ガールズトークも弾みます!!!(笑)

映画、すごくシンプルに「恋愛」というテーマを扱ったものだと思います。
連続する日常の延長線上にある「恋愛」ということ。
パッションやキスやセックスや「I love you」の言葉だけが「恋愛」じゃないもの。
日常の中に根ざしている「恋愛」は、もっとタフだし、そしてそうだからこそ苦しくて楽しくて、悲しくて、そして愛しすぎるんだと思う。

すごく素敵な言葉があった。
本当にシンプルすぎるほどシンプルなんだけれど
結婚を前にして、ナーヴァスになっているビッグに対して、キャリーの言った一言。

「You and me」あなたと私じゃない。だから大丈夫。

安易に出すとひどく嘘くさくなってしまうこのシンプルな一言は、本当にいろんなことを共に乗り越えてきたからこそ言える言葉で、そうであるからこそ確かな重みのある一言になりえるんだと思う。
そして、その確かな重みは、決してピュアでキレイなだけじゃないけれど、とてもとても素敵だ。

「You and me」
なんか、すごくわかる。
マリーのリアル。
この前、ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』のDVDを観ました。
ソフィア・コッポラらしさが、満載の映画。
伝記や歴史モノという観点から観ると、おおいに歪曲されていて最早フィクションといったほうがいいのかもしれないけれど、コッポラの意図はきっとそこにはなく、彼女が表現したかったのは、15歳でフランス王家へと嫁いでいった少女の、戸惑いや不安、好奇心と心細さ、重圧と逃避、哀しみと初恋、母親としての愛情、そしてどうしようもない孤独と閉塞感だったんだろうと思う。
其処に居たのは、フランス王妃のマリー・アントワネットではなく、アンバランスな世界でどうにか自分を保とうとしているティーンエイジャーの少女だった。
別にマリー・アントワネットの肩を持つわけでもなく(寧ろ実際にはフランス革命の意義のほうに傾倒している)、歪曲された世界を歪曲することによってマリー・アントワネットを普通の少女という視点に終始させたソフィア・コッポラを手放しで評価するわけでもないのだけれど、
実際15歳で、あーんなフランス貴族社会の中に放り込まれたら、そりゃ感覚がおかしくもなるよねーと、思う。
今だって、例えばハリウッドといった芸能界とか、ロイヤルファミリーとか、一見華やかに見える世界で崩れそうになりながら堕ちていく人、闘っている人、歪んでしまう人、依存に走る人は後をたたなくって、つまり人間の幸福は、必ずしも富や名声にあるとは限らないんだろう。
ソフィア・コッポラの描くマリー・アントワネットは、広いフランス王宮の中で、ぽつんと不安げな表情で佇んでいて、そしてたった一人で号泣していた。
そこにマリー・アントワネットというよりもティーンエイジャーの少女のリアルがあるんだと思う。
あたしがすごくすきだったシーンは、マリー・アントワネットが、田舎でルソーを読んだり、植物や動物の世話をしたり、草のうえで寝転がったり、そんなのどかで穏やかでなんでもないシーンだ。
豪華で煌びやかなヴェルサイユよりもずっとずっと綺麗。
そして、なんだかとっても切ない・・・。
これは彼女の王宮からの逃避だったんだと思う。
例えばドレスや靴の代わりにあらゆる書物を、夜毎のパーティーの代わりにこうした田舎での畑作りを、彼女が触れられる機会がより多くあったのなら、もしかしたら王妃としての彼女の思想や考え方だけでなく、なによりも彼女自身の心も、まだ救われているものがあったのかもしれないなぁ・・・なんて。





というわけで長々と感想ナド書いてみましたが、実はあたし、最近この映画に影響受けて。
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『西の魔女が死んだ』
(ぽちっ☆)

『西の魔女が死んだ』を観てきました。
ちょうどこの映画の主人公まいのように、学校をサボって、ねー(笑)
だってカナダ人の先生が学会のためスイスに行っていて、これといった授業もないんだもの・・・って言い訳ですねー!
でも学校をサボって、朝イチで映画を観るのも、時にはいいものです。
日常を丁寧に生きることも大事だし、そして時に日常からはみ出してみる事も大事。
あたしはそう思っています。

『西の魔女が死んだ』はベストセラーになった本だし有名なんだけれど、
映画もとってもよかったです。ほんとうに。
イギリス人のおばあちゃんの魔女が育てている草花。
森の中の光。朝もや。霧の濃さ。鳥のさえずり。風の音。
きっと意識しなければ、あまりにも簡単に通り過ぎていってしまうものたち。

魔女の言葉。
「些細な変化に気づく事が楽しいから、変化を前もって知る必要はないの」
「I know」
おばあちゃんって、こんなにあったかいんだなぁ・・・と思いました。
ハーブティーのあったかい湯気も、お日様と石鹸の香りのしそうなリネンの白さも。
窓際のカーテンも、夜中に焼くクッキーも、抱き締めてくれるしわしわの手も、青い瞳も。
魔女の声は、ハーブティーのように、じんわりと優しく心に染み入るようで、それだけでなんだか泣けてしまうくらいに。

静かで、優しい、映画です。
水や空気のように当たり前すぎて、見失いがちな何かを取り戻せる気がするのです。
毎日を丁寧に生きることや、些細な変化に気づける心をもつことや、日常の中に埋もれていってしまう一瞬一瞬のものたちを。

ゆっくり、ゆっくり、丁寧に観て欲しい素敵な素敵な映画。
毎月一日は映画の日
一日は映画デーということで、今日はエルフと映画を2本立てで鑑賞♪
トム・ハンクスでしょー。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンでしょー。
個性派実力派と言われる濃い面々をタップーリと堪能(笑)
はー!やっぱり期待通りに面白くて、満足満足ラブ

(ぽちっ☆)

『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』
冷戦時代のソ連によるアフガン侵攻を阻止すべく立ち上がったテキサス州選出議員、チャーリー・ウィルソンのノン・フィクション映画。
2001年の9.11同時多発テロ事件につながる、この時期の米国のアフガニスタン戦略のひとコマを見ると、なんとも皮肉としかいいようがない。
多くの尊い命が奪われていく国の彼方で行われる「政治」というエキサイティングでダーティーでとんでもないゲーム。
情報操作、パブリシティ、嘘、権力、下卑たユーモア、セックス、そして金・金・金。
正義?反コミュニズム?聖戦?悪の枢軸?
ヒーロイズム的な描き方も、正義を信じて疑わない、楽観的で強引なある種の幼稚性も、
やっぱりSO AMERICAって感じで、ん?と思ったりもしたんだけれど、
そう描くことで、アメリカそのものの姿を炙り出そうとしているのかな?と思いました。

それにしても本当に、政治って・・・。本当に、戦争って・・・。そして、本当に、人間って・・・。

でも、目をそらしちゃいけないんだ。



(ぽちっ☆)

『最高の人生の見つけ方』
偶然同室になった余命6ヶ月のエドワードとカーターが、世界中を旅しながら、生と死を笑い尽くす友情物語。
もーね、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンのベテラン同士のセッションが本当にスバラシイんだなぁ♪
笑って、笑って、最後の最後まで、笑ってしまったわー。
いーねー、こういうノリ。すき。
メメント・モリ。
死を想うからこそ、人生が、今日が、この一瞬が、キラキラと輝く。
死が等しく避けられないものであるからこそ、
死を前にして、とことん笑っちゃうのも素敵なのかも。
笑いってスゴイんだよね!
がん細胞をやっつけちゃうくらいスゴイんだよね!
後がない、もうどうしようもない状況でも笑いが生まれるのは、
それがヒトの生命力だからなのかもしれないな。



というわけで本日観た映画2本、とてもよかったです!
そういえば映画を観ている最中のこと。
エルフがそっと、あたしの手を握ってきたので。
やん、エルフったらぁラブ
と、あたしも、にぎにぎ♪とお返し(笑)
エルフも、またまた、にぎにぎ♪
もう、エルフったら〜、映画に集中できないじゃなーいラブなんて、思ってみたものの。
なんだかエルフの様子がちょっと変!?
不思議に思って隣を見てみると、エルフのお隣の熟年カップルさん達が、若者に負けず劣らずイチャイチャしながら映画を観ておられました汗
・・・あっぱれー!!!!
熟年カップルのパッションと、自分達のアホさに、苦笑いしつつ、
また映画の画面に視線を戻したあたし達なのでした(笑)

映画が面白いのは勿論だけれど、
アメリじゃないけれど、映画を観ている人達の人間模様もまた面白かったりして♪
『潜水服は蝶の夢を見る』
(ぽちっ☆)

ぼくは生きている。話せず、身体は動かないが、確実に生きている。

ジャン=ドミニク・ボビー
ELLE編集長、42歳、子供3人の父親。
ある日倒れ、身体の自由を失った。
そして左目の瞬きだけで、語り始める。
蝶のように飛び立つ想像力と記憶でー。


昨夜はエルフとレイトショーに行って、『潜水服は蝶の夢を見る』を観て来ました。
ジュリアン・シュナーベルは、『バスキア』の監督ということで期待大だったのですが、うん、やっぱりよかった。

「病気」とか「死」を題材にした所謂「感動モノ」みたいな、明確なストーリーの流れは特にあるわけじゃない。
過去と現在につながる記憶と想像力によって紡ぎ出される一連の映像が、潜水服に包まれたかのような重い身体と左目の瞬きの不自由な苦痛を、どこまでも美しく広がる世界へと、彼を連れてゆく。
そう、蝶の舞いと羽音のように、彼は自由だ。

ジャン=ドーには、アイロニーもユーモアも、愛の言葉も、ある。
左目の瞬きで、言葉を紡ぐことができる。
英文字のボードを何度も何度も何度も繰り返しながら、瞬きだけで伝える
「M・E・R・C・I」
ありがとう、の言葉に託された、言葉の意味の、心の、重み。

想像力。想像力は偉大だ。
想像力は食欲を満たし、想像力は何処へだって行け、想像力は愛する人とキスができ、想像力は子供の髪を撫で幼い身体を抱きしめてやり、想像力は潜水服に包まれた体をどこまでも自由にする。

とても、とても、いいノンフィクション映画。


あたしは、想像力?妄想力?だけは、幾分強いほうだと思う(笑)
バカみたいだけれど、犬のボルゾイを見ては、
「ペガサス」とか「ユニコーン」に会えた気がして、いつもたちまち嬉しくなっちゃう。


そのぶん、この世界が、現実よりもほんのちょっとだけ楽しくなる。

想像力って、きっと、そういうこと。
パリ、ジュテーム プレミアム・エディション
今年のエルフからのクリスマス・プレゼントのひとつ♪(他にオードリーぽいクラシカルなグレーのジャケットもいただいちゃいました♪)
『Paris Je T'aime』
パリを舞台に織り成す一篇5分程度の、18の小さなラブ・ストーリー・オムニバス。
綺麗な映像と一緒にパリの街並みをお散歩している気分になれる一本。
でも・・・ね、それだけじゃない。
5分という短い時間の中に生きる、様々な人生、喜怒哀楽、出会いと別れ、笑顔と涙。
そういうものに触れたとき、「生きるということ」を、5分の中に思い知らされる。
とってもとっても素敵な映画。
短い5分という時間でも、それは人生の中で欠くことのできない大切なピース。

そういえば、エルフとまだ出会う前。
パリのモンパルナスで、5分という短い時間の中に素敵な出会いがかつてあった。
冬のパリで、朝8時だというのに、外は深夜のように暗くて寂しい空の色だった。
冬枯れの匂いのするランプシェードの光の中で、時が止まった気がした5分間。
うふふ♪
そっと心の隅っこに飾っておきたい5分間。
人生って素敵ね(^_-)-☆

あたしが30歳になったときに行くハネムーンはパリにしようというエルフとの約束♪
2人で歩くパリを、エルフと過ごすいくつもの5分を、あたしは今からもう楽しみにしているのです(*^_^*)

素敵な映画のプレゼントを、本当にどうもありがとうラブ
『パッチギ!LOVE&PEACE』


星星星星星(文句なし!の5星&スタンディングオーベーション)

本当に奥の深い、深い、良い映画を観たときは、「なにがどうだったから、良かった」
とは簡単に表現できなくなるものなんだ、ということを実感しました。
いい意味で、まだ消化不良中。
適切な言葉がうまく見つからないもどかしさが、かえってこの映画の奥深さをあたし自身に語ってくれているというか…。
多分、これから何度も反芻して、噛み砕いて、考えて考えて、この映画の骨の部分に触れることができるんじゃないかって思います。
とはいっても、テーマが分かりづらい、とか、そんなんでは決してなくって。
寧ろ、シンプル。

でも、シンプルな概念に辿り着くには、本当に多角的で複雑な視点がないと、
きっと見えなくなってしまうものなんだろう、ということを思う。
家族とか絆とか愛とか血とか国とか平和とか、そして命とかって、
とてもシンプルでありながら、決してシンプルな視点だけでは語れない、ということ。

マイノリティーとしての差別、苦悩、誇り、迷い、そして生きる強さ。
自分をありのままに受け入れてもらえないということ。
自分のルーツとアイデンティティーの中で起こる葛藤とプライド。
「なんでこんな風に生まれてきたんだろう?」
そう叫ばなければいけないことの、社会の、世界の、狭量さ。

家族。絆。愛。血。国。平和。そして命。

井筒監督の的確な社会に対する視点、批判精神、人間としての優しさ。あったかさ。
戦後日本の歩みを見てきた彼の視点に、あたしはすごく共感する。
色んな映画や表現があっていいし、そうあるべきだとは思うけれど、
最近はやっている?戦争映画には、決して無い視点を、井筒監督は描く。
あたしは「男たちの大和」も「俺は君のためにこそ死ににゆく」も見てないけれど、
戦争を美談にすることへの違和感がある。
亡くなった方に対して、失礼で、許されない事かもしれないことを覚悟して言わせてもらえば、
特攻隊で亡くなった方達を、あたしは英霊とか英雄とか、そんな風にはとても思えない。
彼らは人間だ。生きていた、生身の、命ある人間だ。
「お国のために死になさい」
どこの親が友達が恋人が、こんな言葉を、愛する人に言えるだろう?
時代と時の為政者の在り方と政治さえ違えば、あまりにも空虚に響くこの言葉に対する怒りを覚えても、あたしは感動なんて絶対にしない。絶対にしたくない、と思う。

どうして彼らが死ににいかなければならなかったのか、
何が彼らを死ににいかせたのか、
知覧特攻隊の、もっと南の島々で、強制的に連行され、征服され、命を奪われていったアジアの人たち、
こういう視点を抜きに、本当の意味での反戦は決して描けないと、あたしは思う。

あたしは、いつまでもモダン・ガールで風のような、平和を信じて戦地取材もした、
女優の岸恵子さんにずっと憧れていて、すごく好きなんですが、
彼女が、都知事の映画に出たということを知って、少なからず驚いてました。
後日、マミーから、岸さんが、「徹子の部屋」に出でた際に、
「特攻隊を最後に見送るシーンであたしは怒りを表現したくて、それを監督に訴えたけれども、そのシーンは遠くからの撮影になっていて、哀しみしか表現されていなかった。
あたしは哀しんでいたのではなく、怒っていたのです。」
というようなことを、まるで弁明のように、言っていたということを聞いて、
もし、岸さんが、『パッチギLOVE&PEACE』を見られたら、
どんなに、やるせない気持ちになるだろう、と思いました。

「戦争映画だけで戦争は語れないし、戦争映画だけで平和は訴えられない」
『パッチギLOVE&PEACE』を見た後に、そんな思いに捕らわれました。
戦争も平和も、多分、いつの時代にも、どんな日常にも、あるから、かな。
「人間としての視点」は、どんな時代でも、戦争でも平和でも、失いたくない、という思いがあります。

映画のあと、エルフが言いました。
「愛する人のために死ぬんじゃなくて、愛する人のために生き抜く、だよね?」

人間だから痛いし、人間だから悲しいし、人間だから絶望するし、人間だから弱い。
でも人間だから優しいし、人間だから強くもなれる。

あまりにもシンプルで、あまりにも複雑な、こと。
感動するのは。いい意味で消化不良になるのは。
きっと、この映画が描くテーマが、骨が、
それこそが人間の本質なんだろうから、と今は漠然とそう思っている。
ひとつの在日コリアンの家族にあてた焦点が、
この壮大だけれど、当たり前に此処にある、テーマを、
とてもシンプルで、でも複雑で、どこまでも深いけれど、でもとても身近なテーマを、
漠然と匂わせる。
だから、手の中にあるようで、決して手にしていないような、
でもずっと前からただ其処に存在していたような、
なんていうか、持っているのに、つかみきれていない、そんな感覚に陥っている。

まだまだうまく噛み砕けていないし、味わう余裕もないです。
これから、時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり消化していこうと思います。
Music and Lyrics


星星星星

年末あたりからずっと楽しみにしていた『Music and Lyrics』を観て来ました。
80年代にポップ・グループとして一世を風靡したものの、その後売れないどころか、
曲も詩も長年かけていないアレックス(ヒュー・グラント)とアレックスのお家の植物のお世話をすることになったソフィー(ドリュー・バリモア)の、
とってもキュートでポップなラブ・コメディです。
もうねー、80年代ポップなヒュー・グラントのダンスが可愛くてたまらなかったです!!
いえ、ヘンテコリンなダンスなんですけど、ツボっていうか(笑)
ヒュー・グラントといえば、いいかげんなダメ男がはまり役だけれど、
どうしてもどこか憎めないキャラクターに出来上がるのは、ヒューの持ち味ですね。
今回もそんなヒューの魅力が満載でした。
そいえば売れなくなったアレックスが(かつての?今の?)ファンの前で、
パフォーマンスしている姿に、何故かジャパンの郷ひろみを重ねていたあたし。
なんとなく、そんなイメージでした(笑)
あと、ドリュー・バリモアの魅力もすごく良く出ていたと思う。
あたしはドリュー・バリモアは特にファンでもなかったのですが、
やっぱり演技力はあるし、なんていうかナチュラルな可愛さがとても光っていました!
ドリューは赤いルージュや鮮やかなアイ・メークなしの、極力メークをひかえてたときの
あの笑顔と口元のなんともいえないキュートさが、もうすごくよかったです!!
表情のディテールがとても繊細な女優さんなんだなぁ。
ヒュー・グラントとドリュー・バリモアは意外にとてもいいコンビネーションだと思いました。演技の仕方が、ほんの少し似ているのかな?

全体的な感想としては、好きな人と二人でモノを集中して作ることや、そういう時間の、
楽しさとか、愛しさとかを改めて想いました。
数年前にエルフとほぼ徹夜して、パズルを作った日の夜の、
夜中3時に、ふと連鎖するあくびとお互いの表情とか。
そんな時間の中にいっぱい詰まった興奮と疲労と充実感と愛しさと。
夜中から明け方にかけて、みんなが寝静まった頃に、たまにパズルをしたり、お散歩したりするのもとても好き。
なんだかほんのちょっぴり二人で世界に逆らって、時間を得しているみたいでとても素敵だと思う。
そういう時間は、とても愛しい。

見終わったあとに、なんとなく、2人で何かをしたくなる、そんな映画かな。
Freedom Writers
       
星星星星     

名女優ヒラリー・スワンク主演の最新作『Freedom Writers』を観てきました。
舞台は、様々な人種であふれかえり、日々(人種的な)衝突を繰り返すL.A.の教室203。
そこに赴任してきた新米教師(スワンク)と、様々な過去と癒えない傷、暴力的で無秩序な今を生きている若者たちの自由と平和への問いかけと模索がここには描かれています。

なんていうのかな。社会システムとか其々の人種間にある不信、恐怖、恨み、憎しみ、そこからくる怒り…その負の連鎖が教育現場である教室や若者世代につながっている現実。
この映画はノンフィクションです。
そして現在の世界もフィクションなんかでは決してありません。

外国に行って、色んなモノを観て聞いて食べて触って、そして何時も最後に辿り着くのは
「あぁ、ここにもやっぱり同じような生活があるんだなぁ」ってこと。
言葉や文化が違っても、人々の笑顔や泣き顔や恍惚や苦痛の表情、善人も悪人も、愛する人も愛される人も、新郎新婦の誓いや赤ちゃんの指先、若者の意思や老人の祈り、拳をあげること手をつなぐこと、キスすること、メイクラブすること、夕暮れと眠り、そしてまた昇る朝日、生と死…何処に行っても誰と居ても、やっぱりそこにはそれぞれのライフがあるって思いに辿り着く。
人間だからー。
そのシンプルな真実はいつも何処にも隠れず、ただ其処にあるはずなのに、あたし達はいつもそれを見失ってしまう。
人間だから?人間なのに?

日本に居る時にある在日コリアンの方と話をさせていただくことがありました。
彼女は日本生まれの日本育ちのコリアン2世で、幸福な結婚をされて、幸せそうな奥様でした。
あたしは大学の集まりの後の飲み会で、その方から在日コリアンの方の率直な思いとか、過去、マイノリティとしての意識(すること・せざるをえないこと)、在日コリアンとしてのエスノシティ・ナショナリズムの在り処など、様々なお話を伺ったのですが。
その飲み会の途中で彼女がいいました。
「娘に日本人とは結婚してもらいたくなかったの。」
誤解のないように言えば、彼女は2世で、日本人のお友達も沢山居て、日本で幸せそうに暮らしているように見えます。
でも、こんなに深いんです。こんなに深い所にあるんです。
あたしはその時なんて言っていいかわかりませんでした、正直。
何故なら日本が政治的駆け引きやパフォーマンスなしの謝罪やドイツのような個人賠償を含めた誠意ある戦後保障をまだしていない現状であること、
そして何よりも加害者の立場である日本人として、
あたしはあたしの言葉がとても傲慢で偽善的に響くだろうことが分かっていたし、そのことを恐れてもいたからです。
でも、それでも、心にひっかかったこと。
あたしは自分の言葉で、拙いけれども注意深く、彼女に言いました。
とても傲慢かもしれなくて、とても幼くて、とても愚かなのかもしれなかったけれど、でもまた、それはあたしの正直な気持ちでもあったから。

「その気持ち、分かります。そう言われても仕方ないって思います。
 日本が、日本人が、あたし自身が、過去と誠実に向き合わずして、こんなことを言うの はとても傲慢で無神経だと思いますが、でも一方でとてもその言葉を悲しいなって思い ました。
 加害者の立場として、あたしは全力で被害者の方の哀しみを癒していかなければと思いますし、手をつなぎたいって思ってます、本当の意味で。それにはやっぱり謝罪と戦後保障が必要不可欠なスタートだって思います。そしてその上で、言葉で草の根の交流で、地道に相互理解をしていけるようになりたいって心から思います。でも、あたしはやっぱりどんな時でも何人ではなく、その人個人として、その人を見ていたいし関わっていきたいし、あたしもそういう風に見てもらいたいって思いが正直な気持ちです。」

彼女は、ゆっくり頷いてくれました。否定も肯定もなく。
その後、飲み会はお開きになったのですが、帰り際にふと彼女に声をかけられました。
「もしお時間あったら、二人で飲み直さない?ウィンク
母親くらいの年齢の人から、そう言われたことがなんだか妙に嬉しくって。
誰かに言わせれば青臭い理想論を並べているのかもしれないけれど、あたしはこの方法でいいんだなって、なんとなくその時にそう思えました。
どちらが正しいとかではなく。
それでも肩を並べてお酒を飲めるくらいには、分かり合えるはず、と。
そしてそういうことの積み重ねは、何かにつながるかもしれない、と。
そんな風に思える夜でした。

Tさんへ。
あたしは今世界一の多民族都市トロントの風に吹かれています。
あの夜の思いに納得のいく説明も予測も答えも、まだ何にもありません。
まだまだ模索中です。指先のずっーと向こうを通り過ぎては消えていきます。
でもトロントの移民たちは以前見たフランスやアメリカの移民たちより、なんだか穏やかな表情をしているように見えます。(気のせいかな?笑。)
みんなが外国人でみんながカナダ人です。
滅茶苦茶な英語がいつも飛び交ってます。
色んな国の言葉が当たり前のように通り過ぎていきます。
そんな夕暮れ。
あたしはコスモポリタニズムの可能性をまぶたの裏に描きます。

人間だから。人間なのに。みんなが同じ、人間として。
The Holiday


           星星星

ケート・ウィンスレットとキャメロン・ディアス主演の映画、『The Holiday』を観て来ました。
失恋して傷心真っ只中なイギリスの片田舎に住む女性アリス(ケート)と、同じく失恋したのに泣けないL.A.のリッチガール、アマンダ(キャメロン)が、心の休養と逃避行のために旅行を計画。偶然ネットで知り合った2人が、お互いのお家を交換してしばしの休日を楽しむ、という現代を生きるシングル・ガールたちの再生ラブストーリーです。

きっかけが失恋じゃなくっても、ふと今居る場所を離れて、何処か遠くに行ってみたくなることってあります。
自分の人生を見つめ直したいとき。自分自身とじっくり向き合いたいとき。
地に足がつかないとき。地に足がつきそうになるとき。
泣きたいとき。泣けないとき。
いつもと違う空の下、いつもと違う景色の中で、あなたは何を想いますか?

エルフの元にはこれまであたしが送った絵葉書がいくつかあります。
カナダから。アメリカから。韓国から。イタリアから。
エルフと付き合う前は旅行に出掛けても、誰にも絵葉書を書いたことがありませんでした。
自称コスモポリタンなあたしは割りと何処の国に行っても大抵、現地の人とおしゃべりしたりして仲良くなって、寂しいって泣いたりすることもなかった。
むしろ日本から、家族から、お友達から、少し離れて、あるがままの自分で居られることが嬉しかった。
きっと誰にも何も言えないことに疲れ、自分を隠すことに疲れた時だったんだろうと思う。
あの頃、絵葉書を書く相手すら思い浮かばなかった。

今でも一人で旅するのも悪くないって思う。
旅行ではないけれど、今だってあたしの周りに日本人はほとんどいないし、日本語だって話さない。
それでも結構だいじょうぶ。

でもね。エルフと出会ってから。
綺麗な景色や美味しい食べ物、素敵な音楽、楽しい出来事に出会うと、全部エルフと一緒に見たいなって思うようになった。
二人で見る夜景はあんなに綺麗なのに、一人で見る夜景はこんなに寂しいって思うようになった。
いつか一緒にまた来ようって、いつも思う。いつもいつも思う。
絵葉書を書こうって思う。

絵葉書を書きたい人が居る。
今はそう思える人が居る。